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ナースなロンドン ~Nursing in London~

nurselon.exblog.jp

お義父さんの死 ~アイルランドのお葬式~

先日、義父が亡くなりました。
享年77歳。
お義父さんの死 ~アイルランドのお葬式~_c0088696_21250909.jpg
2年ほど肺癌と戦っていたのですが
1月に脳への転移が見つかり
放射線療法を始めた直後に状態が悪化。
10日ほどで帰らぬ人に。
本当に急な展開でした。

しかも、1月の転移の告知の直後に
義母が心筋梗塞に倒れ
幸い軽度だったので1週間ほどの入院で済みましたが
この3ヶ月間はアイルランドを行ったり来たり。

理解あるマネージャーのおかげで
勤務を調整してもらい
1週間単位でアイルランドに通っていました。

羊と牛の農場をやっていた義父。
脳転移で倒れる直前まで農場で働いていました。
そして、2ヵ月半と言う短い闘病生活。
義母と子供たちに囲まれて
お義母さんが耳元でお祈りを唱えているうちになくなったそうです。
77歳、あと、2~3年は元気でいて欲しかったけれど
幸せな最後だったと思います。

お葬式当日も、3月とは思えない暖かい陽気で
澄み渡った青空のもと
沢山の人が教会に来てくれていました。
兄弟たちは、あまりに良いお天気なので
お義父さんが神様と取引したんじゃない?
なんて笑いあっていたな。

棺は当日まで家に安置されていたのですが
お葬式当日の最後のドライブとなる教会への道
ご近所さんたちが自分の家の前に並んで見送ってくれました。
お葬式の時間は地元の新聞に告知されていたとはいえ
皆さん外に出てずっと待っていてくださったんだと思ったら
泣けてきました。

ミサが終わって教会からお墓までの10分ほどのドライブでも
息子たちが車の後ろを歩いて行ったのですが
道行く人や反対車線の車も
すれ違いざまにいったん止まって
十字を切ってお祈りしていました。
ほんとに宗教が息づいている国なんですねえ。



お義父さんの死 ~アイルランドのお葬式~_c0088696_21253056.jpg
アイルランドは土葬です。
お花は家族からのみと告知したので少なめですが
それでも大きいのが6つ。
わたしも日本の両親からってことで
一番手前の地味なのをネット上でオーダーしました。
もっと派手なのでも良かったかな。
勝手が分らなかったので、クラシックっていうのにしたんですけどね。






アイルランドの教会のお葬式の手順としては
まず、前日または前々日にお通夜に当たるWakeまたはViewingというものがあり
故人を知る人たちがお別れをする儀式で
自宅でする人もいるそうですが
義父の場合はFuneral Homeという
教会のそばにある小さい祭事場のようなところにお棺を安置し
そばに近しい親族が立って
来た人と握手をしていきます。
400人くらいが来たそうで
5時間くらいやっていましたよ。

そして、前日にRemovalというお棺をおうちから教会に移動する
と言う儀式もあるそうですが
うちはViewingの後にお棺は自宅に戻ってきました。
その夜は近しい親族がお棺のあるお部屋で
故人の事を話したりして
まあ、寝ずの番をするのが本当でしょうが
うちは2時くらいにはみんな寝てたかな。

当日、ミサは12:30からの予定。
9:50に司祭様がおうちにきてお祈りをあげてくれました。
家族がお棺の周りを囲み
司祭がお棺の横に安置してあった聖水を何かの木の葉っぱで遺体にふりかけ
お清めをします。

それから、家族は身支度に取り掛かり
私は黒のワンピースにストッキング。
黒のバレエシューズ。
義妹から借りたベージュのジャケット。
家族も、日本みたいに真っ黒に真珠っていう感じではなく
紺だったり、グレーだったり。
息子達も普通の地味なスーツに
ネクタイだけ黒か紺の無地をしていました。

11:30位にホテルに泊まっていた
故人の兄弟たちと
霊柩車が到着し
朝のように皆家族がお棺を囲んで
故人の弟がロザリオの祈りをささげました。
そして、葬儀屋さん(フューネラルディレクター)の指揮の元
息子たちがお棺の蓋を閉じ
金のネジで固定していきます。
教会で蓋があけられることはなかったので
このときが故人の顔を見た最後でした。
日本のお棺みたいに顔だけ見られる窓もないので。

息子たちの手で棺を車に載せ
おうちから町の教会までの最後の旅。
ご近所さんが外に立って見送ってくれました。

教会に着くと
お葬式に来た人がワーッと義母を取り囲んで
お悔やみを言う列を作り
もう、皆、我先にって感じでちょっと怖かったです。
教会についてからは
とにかく義母をひとりにしないように
ずっと背中にくっついていました。
棺が教会に入るときにも
参列者がまだ義母に握手をしようとしてくるので
周りにはすみません、すみませんって感じで
義母の手をとってお棺の後ろに移動させたくらい。

式のはじめに
司祭の促しで故人へのギフトが紹介されます。
孫たちがそれぞれ故人の縁の品を司祭まで持って持って行くのです。
義父の場合は
・プレミアリーグを見るのが好きだったので、サッカーボール
・毎週ブリッジ(カード)の会に参加していたので、トランプ
・毎週読んでいたファーマー新聞
・愛用のハンチング帽
・携帯電話
でした。
聖書の朗読では長男が男泣き。
家族の挨拶は四男がしましたが、
涙を見せずに素晴らしいものでした。
しょっちゅうお世話をしに帰ったり
兄弟同士でミーティングをオーガナイズしたりしていたので
挨拶で私のことを紹介してくれていて
びっくりして涙がちょっと出ました。

ミサ自体は1時間弱で
また、息子たちの手によってお棺が車に戻され
息子たちは車の後ろを歩いて
義母と私はその後を車で
その他の参列者は個人個人でお墓に向かいます。

お墓ではすでに沢山の人たちが待っていて
墓堀職人たちによって土葬のための穴が
お墓の前にはできていました。
穴には木の梁が渡してあって
その上にお棺をおき
また司祭がお祈りをささげます。
マイクとスピーカーの用意までありました。
そして、親族の一人がマイクで賛美歌を一曲ささげます。
そして、又息子たちの手によって
お棺の下に太いベルトを通して
木の梁をどけて
お棺を穴に下ろしていきました。
孫たちが赤いバラの花をそれぞれ一輪穴に投げ入れて
その場を立ち去ります。

その後もずーっとお悔やみの言葉を言うために
義母の周りには行列が。
私はこの最後の最後で泣けてきてしまい
周りの人に慰められてしまいました。

その後はホテルに移動して
お食事会でした。
150人くらいは来てくれたのでしょうか?
3コースのちゃんとしたお料理で
ワインも振舞われました。

結局すべてが終わって家に帰ったのは19時過ぎ。
どっと疲れました。

基本、お香典はありませんでした。
参列者がカードを持ってくることもあったけれど
近しい人は亡くなってからお葬式までの間に
カードと何らかの食べ物をすでにおうちに届けにきていたようです。
おうちにはもう、食べ物があふれかえっていました。
この悲しくて慌しいときに
料理をしなくていい様にという心遣いから
ローストしたお肉から
スープやケーキまで
ありとあらゆるものが届けられていました。
いろんなひとの手作りのものが食べられて
興味深かったです。





by mango55mango | 2017-03-31 21:23 | アイルランド
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